Maltine Records みみみ「もしもニアンファミリーズが一人なら」
Maholova × Enomoto Hirokoでジャケット担当しました。
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榎本浩子 個展 「ヤマ ヒム アヌ」
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榎本浩子による油彩、ドローイングを中心とした展示です。
また作家本人による、ドローイング制作の様子も展示の一部となっております。
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会期:
2012年1月13日(金)- 1月25日(水)
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日時:
水金17:00~20:00 / 土日14:00~20:00
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会場:
gsgp 女子美アートセンター準備室
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主催:
gsgp 女子美アートセンター準備室 実行委員会
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関連イヴェント:
opening party 1月13日(金)18:00~
ケミカル・パーティ 1月25日(水)18:00~
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*会期中、会場にて作家がドローイングを行っています。
またイヴェントの詳細はURLもしくは
twitter(@gsgpartcenter) をご確認ください。
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何かしらの不安定要素は誰にでもつきまとうもの。トラウマ、ヒステリー、少女時代…。他人のような自分が自分を見ているかもしれない。その両者は自分ではないかもしれないし、自分なのかもしれない。本人でさえ理解できていない、不安定少女の自分ルールは、発言をするたびに姿を変えます。
人は少なからず誰でも、情緒不安定であったり、不健康な心を持っています。「身体も精神も固定されたものではなく、常にゆらゆらと流動的にうごく液体のような感じ。」と発言する榎本の絵画は、そんな人間の負の心理状態を、柔らかく、あくまでも常識のように表しているかのようです。
自分ルールの中で完結された絵画から見えてくる奇妙な安心感。臨床心理学にさえ縛られない、縛られたくない非合理な浮遊する一人の少女の展示をご覧ください。
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gsgp 女子美アートセンター準備室
神奈川県相模原市南区相模大野6-7-9 三栄スタジオ 7階 702(7B)
042-740-7520
E-mail:joshibigsgp@gmail.com
URL:http://gsgpartcenter.blogspot.com/
小田急「相模大野」駅徒歩8分
コンビニ側入り口のインターホンで「702→呼出」を押してください
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hへ。
キミからキミの作品についてのテキストを依頼されて、少し戸惑っています。
思い返せば、ボクがディレクターを務めた展覧会で、7つの賞を選定する際に、ボクも頭数合わせで選者の一人にならざるをえなかったのですが、その控え室で、キミの絵がおもしろいと口にしたボクに対して、同じく選者の一人だった女性が、どこがおもしろいのでしょうと、まっすぐに質問してきたときに、躊躇したということがありました。このことについては、すでにどこかでお話ししましたよね。そのときの戸惑いがまだ続いているということなのかもしれません。
確かに、ボクもファンの一人であるからこそゲストとして招いた、女優としても活動しているその女性の疑問ももっともなものでした。キミの作品には、従来の平面作品が求められてきたような、圧倒的な技能の提示もなければ、全くの新規な風景の開発も見当たらないのですから。もちろん、かといってそれは、いたずらにヘタウマな身振りを示すだけにとどまり、カジュアルな展示に包まれて、安穏としているような、一時期流行したスタイリッシュなクールネスともずいぶんと距離があるように感じられます。ボクは普段、どんな文脈であっても、こんな紋切り型の表現はしないのですが、キミの作品について語る際には、それもまた必要なような気がしてなりません。なぜならキミもまた、一見すると気ままに描き散らかしたようなイメージの多くを、窮屈で旧弊なキャンバスの中に押し込めようとするのですから。
でも誤読してもらいたくないのですが、もちろんボクがここでもしも可能ならば示すことができればと思っているのは、どうやってもそうした紋切り型へのカテゴライズが躊躇されるということ、そのことなのです。もちろんキミの作品に対して、他のいろいろな作家との類同性を口にする人は少なくありません。そのことは十分承知しています。けれどもその上で、やはりそこからはみ出してしまうということを、何か自分自身に言い聞かせるように、このテキストを書いているのだと思います。そしてそのことが、先ほど、圧倒的な技能の提示がないと言ったことを、肩代わりするものになっている、そういう気がしてならないのです。表現は、今やかつてのような技能の提示によってある特定の価値を付与されるようなものではありません。それは、コンセプトであったり社会の問題への言及であったりすることはもちろん、ときには、むしろ従来の価値観と抗う強度こそも求められているような気がします。
ボクが、キミの作品に惹かれている最大の理由はそこにあるのかもしれません。それは、美術における教育の在り方を嘲笑し、けれどもだからこそその尊さをむしろ示しているようにも思えます。また、こう述べたときに誤解されてしまうことを恐れるのですが、だからといってキミの作品が、アートという世界内部の問題提起に終始していると考えているわけではありません。そうした抗いに進まなくてはならなかったのは、そうしなければ表現できないものが、そこにあるからだと思います。それについての、陳腐な精神分析類似の解説は止めておいた方がいいでしょう。
乱暴なようですが、ここまで書き進んできたとき、何か胸に落ちるような気持ちになれました。それは誤解なのかもしれませんが、そうした個人的な充足が、このテキストを書く際の動機のひとつでもあったのですから、ここで止めることにしたとしても、きっとh、キミはわかってくれると思っています。
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美術批評家 杉田敦
シームレス グラデーション はじまりも終わりも無い世界
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榎本浩子の絵画作品は、巧みなテクニックが目立つ。例えば構図にしても、手前の大地や水の存在で広大な水平面を作り、そこから山がそり立って行くことで風景に奥行きと高さを生みだしている。そうすることで山という大きな起伏としての立体物を見る側に意識させ、その山並みの向こう側、つまり見えない世界、未知の遠景という景色までも感じさせてしまう。そして、その風景内では、繊密なグラデーションがモチーフの表面をなだらかに整えながら包み込み、シームレスな一つの独立した物体となり、シャボン玉のように浮遊をしだす。そうすることで絵のなかにモチーフの裏側という死角を作り出している。このようなある種の全体的関係性の確保と同時に舞台セットのような立体的な空間を作り出すためのテクニックが数多く盛り込まれている。
それらの絵画作品では、人や動物が巨大化したのか、それとも地上物がミニチュア化したのか、その空間の中心的存在としてとして描かれているように見える人や動物がリラックスした佇まいで山越に世界を見ている。そして、皮肉にも絵のなかの人や生き物だけがその裏側と未知の遠景を見ることが可能なのである。
絵を見ることで絵のなかの世界の常識が生まれ、見る者にその常識との距離を新たに生むことで、ある種の煩わしさとして必要以上の知りたいという欲求を生みだす。鑑賞後には欲求不満という敗北感にも似た感情が残る表現だ。
ここで私が思い出したのは、ベルギーのキュレーター、ヤン・フート氏のベルギーのアートについて述べた言葉だ。「受容性と知覚力、この両方の効果によって、ヴィジョン(視覚)が与えられる。」「アートにおいて、ヴィジョンは明晰と同義語ではない。いやそれより、あらゆるアートと同じく、ベルギーのアートは意味が完全に明らかになることを許さない。それ自体あいまいで分析を嫌い、さらに見る人をも、軽薄と深刻・率直さと隠された意味・テクニックと詩・感受性と野蛮、といった概念の間の、オープンだがはっきりしない空間に導く。」と述べ、そしてそこにアイロニーのセンスと意識性を見出している。
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まさに榎本作品も軽やかな色彩のつながりをまとめてみたときに、いつの間にかアイロニーの縁を私たちに跨がせているのである。
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女子美術大学 洋画専攻 准教授 大森悟
榎本さんの作品
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榎本さんの作品は、支持体と呼ばれるものと作品に向き合う行為について全く自由だ。それがドローイングであるのか、紙にサインペンで描かれたのか、キャンバスなのかなど、そのようなことは全く関係がないこととして目の前に現れるのだ。
絵を観る時の態度、それはちょっとした思い込みや、これまでに上手くできてきたように思われてきた慣習にすぎない。榎本さんの作品はこのような行き違いを少し崩してやわらげてくれる。これらのことは榎本さんが開発した独自のものではないけれど、絵を観るという経験がまた新鮮に思えてくることは、榎本さんの作品から発せられているメッセージなのだろうか?
画面に描かれた人物の不穏さ不気味さ。鮮やかで形のはっきりした、でもどこか腑に落ちない形態、不安定、ソワソワした感じ。そしてそのままだったり擬音語だったりするタイトル。とにかく答えを早急にだす必要はないのだと、榎本さんの作品は、言っているのだろうか?あるいはそんなこと、微塵も言っていないのかもしれないし、ハッキリ言ってそんなことどうだっていいことだと言われているのかもしれない。作品を観ることで、何かを分かったような気になって安心したいという私の欲望は、今のところはぐらかされたまま。もう少し時間をかけて、榎本さんの作品を受けとめる必要がありそうだ。これも榎本さん作品の「何かなのかも?」とまた勘ぐってしまう。でも、そんな勘ぐりはなしで、もう一回、この機会に作品に向き合ってみたいと思う。
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リサーチ・アソシエイト 沼下桂子
榎本浩子 Enomoto Hiroko
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近年はインスタレーション、パフォーマンス等の手法を用い、ドローイングやそれから派生する作品を制作。
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1986 群馬県生まれ
2011 女子美術大学大学院美術研究科美術専攻洋画研究領域 修了
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group exhibition
2009 「森展」/世田谷美術館区民ギャラリー
2009 「coil」/ギャラリー青羅
2010 「face the artwork」/世田谷美術館区民ギャラリー
2010 「depositors meeting 8」/art & river bank
2011 「女子美スタイル☆最前線2010」選抜/BankArt studio NYK
2011 「ホワイとギャラリー」/銀座gallery女子美
2011 「虎の間」/高円寺AMP
2011 「depositors meeting 9」/art & river bank
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solo exhibition
2012 「ヤマ ヒム アヌ」/gsgp女子美アートセンター準備室
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E-mail : enoeat@gmail.com